こんにちは、しょぴーです。
今日は、思考の流れについての深堀していきます。
思考の流れとは「知識」と「知識」がつながりから、新たな「気づき」が生まれることです。
この思考の流れは人それぞれ持っている「記憶」「知識」「イメージ」といったものによって変わってくるので、同じ物を見ていても人それぞれ違った捉え方をしています。
その捉え方を「理解」と呼び、これまた、人それぞれ違っています。

美味しそう!

美味しくなさそう!

えっ!たべるの?
同じ世界にいるようで、それぞれ自分の世界を生きているんですね。
物事の捉え方は人それぞれ違います
じつは同じ物を見ていても、人それぞれ「見ていること」や「感じていること」は違います。
例えば適当な例をあげると

これは「ウニ」ですね。

こうなっていたら、イメージも変わってきますよね。
で、「美味しそう」と感じるのは「美味しかった」という経験に基づいています。
つまり、知識として「ウニ」=「美味しかった」という経験があるから、謎のトゲトゲを見て「美味しそう」という感情が“現象”として現れます。



実際、このトゲトゲの物体が「美味しそう」とつながることはありませんよね。汗
認識とは「思考の流れ」のこと
「ウニ」をひとつ見ても、どのように“それ”を認識するのかは、人によって異なります。
Aさんにとってのウニは、「海にいるトゲトゲ」でも、Bさんにとっては「ご飯にのっている黄色のプニプニ」なわけです。
2人の認識は、その「トゲトゲ」と「ウニ丼に乗っている“それ”」が同じ認識であるとは限りません。
さらには、そのウニ丼を食べて「美味しい」と感じたことがなければ、「美味しそう」という同じ認識にはならないということです。
みんな違う「認識」について
認識とは「知識」と「知識」のつながりによって変化します。
すこし事例をあげてみますので、ちょっと想像してみましょう。

なんか、この人の頭の中はめっちゃ焼肉行きたそうですね。笑
で、「思考」とは五感から入ってきた情報が、前から後ろに流れていく中で起きる「電気の流れ」です。
いきますよ?
「牛タン」→「カルビ」→「ハラミ」→「ロース」・・・焼肉ですね!

この人の食べる順番かな?
ある時は「牛肉」→「カルビ」→「白米」と電流が流れることで、「カルビ丼が食べたいな」みたいになります。

この人は、大工さんでしょうか?
家に関する知識がたくさんあります。
「風呂」「ひのき」や「屋根」「薪」「煙突」といった知識が集積していて、なんだかこだわりのありそうなお家ができそうですね!
これらの事例から分かることは、表現としては同じ「肉」とか「家」という事象も、人によって認識することが違ってくるということです。
さらに言えば、同じ人だとしても状況が違えば全く違う捉え方になります。
この2つの事例から、「知識」の量や組み合わせ、また「流れの順番」によって、出てくる答えが無限にあるということを理解しよう!

もしかすると、あの人オレのこと好きなのかも!

勘違いも才能だと思うわ
そもそも物事に正解なんて存在しない
見る場所が違うと、そこから見える景色は変わります。
じつは「認識」も景色と同じで、見る場所が違うだけで、その出来事は「正義」にも「悪」にもなります。
「正義」と「悪」の判断も、ある地点からみたという「軸」の違いにしか過ぎません。
『どこを基準にするのか?』によって、その事実の見え方は変わってくるのです。
例えば、「戦争反対!」は、基本的にはみんなの願いとしては共通していると思うのですが、その戦争ですら、どちらも『自分の正義』を掲げて戦っています。
その「戦争が起きた」という事実と、「何が正しいのか」は関係ありません。
言い方は悪くなりますが、「捉える軸がどこにあるのか」という違いがあるだけで、どちらが正しくて、どちらが悪いという正解はありません。
強いて言えば、勝った方が正義になってきたというだけです。
どのような「理解」も「軸」の場所によって認識が変わってくることを理解しておきましょう。
ならば、自分がどう捉えて、どう考えるか?が大切
「認識」はみんなバラバラ、どんなことにも「正解」はない。であるのならば、いったいどうしたらいいのでしょうか?
答えは、「自分の価値観」を軸に“あなた自身の正解”を決めるしかない、ということになります。

意味わかんない!
大変に感じるかもしれませんが、それ以外に方法がないのです。
世間の常識とは、単に『大勢の人がそう言っている』というだけで、それが正しいとは限りません。
問題の本質は『常にあなたの内側』にあります。あなた自身の価値観で判断する以外に方法はありません。
残念ながら、どんな出来事であろうと外から理由を探しても何の解決にもならないのです。
それなら、どうやって「自分なりの正解」を見つけたらいいのでしょうか??
答えは簡単です。
あなたが心地良いと感じることを判断の軸にしましょう。
普通に自分が「やって良かったな」って思えることが“あなたにとっての正解”であり、逆に後ろめたい気持ちになるならやめた方がいいでしょう。
誰かに何かを言われたから判断するのではなく、その事実を受けてあなたがどうしていきたいのか?というスタイルがベストです。
本質を捉えることであなたの世界は広がりをみせる
「そもそも正解はない」ということを理解した上で、ここからはあなたが今後どうしていくと成長につながるのかについて考察していきます。
認識していないと、そこにあっても見えてこない
最初に説明したように、認識とは「知識」と「知識」のつながりによって変化します。
つまり、知識がなければ認識することはできません。最低限の知識は身につけましょう!
さらに言えば、知識があったとしても、つながっていなければ“すぐそこに”あったとしても、見ることすらできません。
愛は“気がつけばそこにあるもの”とミスチルが歌っていますが、まさにその通りで、どこかに探しに行って見つかるものではないのです。
愛は日常の中にこそ溢れているもので、知らない土地にはありません。あるのは疎外感です。
何の話でしたかね・・・笑
「本質」を捉えると、現象として「結果」が理解できる
「本質」を捉えるとは、その「結果」を見るのではなく、「構造」を理解するところから始まります。
あなたが歴史の勉強をしていたとしましょう。
歴史とは事象の積み重ねなので、その一点を知識として暗記しても、明日のテスト以外、役に立つことがありません。
「聖徳太子」が行った政策を「名詞」として覚えたとしても、人生に役立つことはないのです。
必要なことは「構造」の理解です。
その時の時代背景はどうだったのか?誰が何をしたことで何が起きたのか?その結果行った政策が「冠位十二階」なんだ!みたいにストーリーの流れを踏まえると、理解が深まります。
「構造」とはストーリーです。
ストーリーとは、“その現象”が現れるまでの道筋であり、その出来事の裏側には、涙なくして語れない「山あり谷あり」の起承転結の物語がたくさんあるわけです。
そのストーリー(構造)を知るから、その結果である「現象」を理解できるようになり、さらには、人生に役立つ“教訓”を得られることになります。
順番は「本質」「構造」「現象」です。

パパが読むのって「マンガでわかる」ってやつでしょ?

パパはキングダムで学んだの?

マンガでもいいの!大事なのはストーリーだから!!
「結果」を見て考えるのではなく、「本質」から構造を紐解く
その「結果(現象)」に意味はありません。
たとえ誰かが「結果が全てだ!!」と喚き散らしていても関係ありません。
その「結果」ではなく、その「本質」をみましょう。
例えばテストで、毎回100点を取って褒められまくっている子がいたとします。しかし、その子にとって、このテストの結果はどんな意味を持つのでしょうか?
少し時間をとって考えてみましょう・・・。
仮定の話なので、ただの考え方のひとつですが、“その子にとって”そのテストが単に「簡単すぎただけ」かもしれません。
その場合、問題点としてはテストの基準になります。100点という「結果」だけ見て喜んでいたら、次の難しいテストで悲しい思いをするかもしれません。
もちろん、努力によって得られた結果であったかもしれません。その場合は、その努力(本質)が素晴らしいのであって、100点という「結果」はおまけです。
どちらにせよ、結果から読み取れる「本質」に目を向けましょう。
思考の流れを理解して「本質の捉え方」の練習をしよう
どんな物事もその「本質」によって「構造」が形作られます。
例えば、台風は南からやってきます。だいたい夏から秋にかけてやってきて、しかもだいたい九州付近に上陸します。そして、日本を抜けるとたいてい台風じゃなくなります。
これらの流れは、地球が回っている(本質)から起きる現象で、その時期の「気象条件や海流(構造)」などから台風が発生(現象)して、日本にやってくるわけです。
本質を踏まえて構造を紐解けば、その現象がなぜ起こっているのか、理解につながります。
問題解決にも同じことがいえます。
本質を踏まえた問題解決の方法
あなたの取り組みが行き詰まったら、その取り組みの「本質」を踏まえて考えてみましょう。
例えば僕の場合、スケボーを娘とやっていますが、僕の本質は「娘と楽しくやる」です。これが「上手くなりたい」だとやることも変わってきます。
そのうえで、新しい技に挑戦する時にやることは「その技の構造」を考えることです。どんなタイミングでどうやって体重移動をするのか。視線はどこを見て、どこで着地するのか。そんなことから考えます。
で、できそうもないなってなるんですけどね・・・笑

やるんでしょ?やってよー
この時、何より重要なのは「本質」です。
娘と楽しくスケボーできていることに変わりないので、僕にとっては何の問題もありません。
とはいえ、それが問題であるならば、その構造の理解に努め、できる人からアドバイスをもらいながら試行錯誤を繰り返していけば、必ず問題の解決はできます。
まとめ
僕たちは「学校で習うこと」や、「教科書を覚えること」が勉強だと教わってきました。
しかし、知識はそれぞれの「○○」という単語を覚えることでは役立つことはありません。それらの知識をつなげて「学ぶ」のです。
「覚える」だけでは成長することはありません。
今日の話をまとめると、
- 物事の捉え方は人それぞれだということ
- どんな捉え方にも正解はないので「自分の軸」を持つこと
- 知識にはつながりが必要なこと
- 重要なのは本質を捉えること
- 本質を捉えるには構造から考えること
こんなところですね。
今日は以上です。ではでは。
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