こんにちは、しょっぴーです。
子どもの成長って本当にすごいですよね。
日々、革新的な成長を続ける娘たちを目の当たりにしていると、この成長速度で“一点突破”させてあげられたなら、どんな夢でも叶うんだろうなと勝手に期待を膨らませてしまいます。
それが親のエゴだということは百も承知ではありますが、、、。
どんどんできるようになって、ホントすごい!
てへへ
(ホントはこうできれば、もっとできるようになるんだけどな・・・)
できない自分を棚に上げて、どんどんできるようになっていく娘に期待してしまうのは、完全に親のエゴなので「言いたい気持ち」と、「言わないでおく気持ち」と、、、。
“アドバイスしたいけど重たく受け取ってほしくない”という考えが交差する、ホント子育てって難しいですね。笑
しかし、僕のような“成長期をうまく活用できなかった”親の気持ちがわかる方も多いのではないでしょうか。
今日は、僕自身も大人になるまでは全く理解できなかった「勉強」について書いてみます。
勉強ができないと困る3つの理由
子どもは“感覚”でいろんなことを吸収して成長します。
その中で“考える”という技術も身につけていくわけですが、この「考える」という技術も当然のことながら、練習しなければうまく使うことはできません。
つまり、学校の勉強とは「知識を身につける」と「考える練習をする」という、2つのことを“学ぶ”ところなのです。
間違っても知識の暗記をするところではありません。知識は“単体”では役に立たないからです。
知識は繋がることで意味を持つため、勉強とは“知識を組み合わせる”ためにするものです。
では、知識を組み合わせられないとどうなるのでしょうか?
しょっぴーの考える「勉強を疎かにすると困る理由」は、次の3つです。
論理的な考えができるようにならない
「分からないことが分からない」という人がたまにいますが、これは物事を構造的に考えていないから起こる現状です。
はじめての経験では、前提条件がないため何が何だか分からない状態になります。これがいわゆる「分からないことが分からない」という状態です。
こんなとき大抵の場合は、状況を整理することから始めるのではないでしょうか。
一旦落ち着いて状況の整理から始めることになります。
えっ?これどういう状況なん?
これが異世界…?
つまり、“今どういった状況なのか”を把握して、何が理解できて何が理解できないのかを分析するわけです。
ということは、「分からないことが分からない」とは“考えることを放棄している”ことに他なりません。
構造的な考え方ができないと、物事の本質には辿りつくことはできないのです。
自分自身の答えを見出せない
ものごとに正解はありません。
正しい答えとは、“その人にとって”の理想であり、みんなにとっての正解ではありません。
そのため自分の価値観を軸に“あなた自身の正解”を探す必要があります。
自分の価値観を軸にする理由は、以前の記事でも書きましたので詳しくはそちらで。
つまり、考える練習を疎かにしてしまうと、自分自身の答えを見つけられずに、周りに振り回される人になってしまいます。
あの子と一緒のやつ欲しい!
だめだ!
これは断言できますが、周りを見て生きていると幸せになれません。
「あの人がこう言った」とか「みんなはこうしている」といったことを気にしていても、何もいいことはありません。
なぜなら、ものごとに正解はなく、“あなたの世界”は「あなた自身の決断」をもとに成り立っているからです。
たとえ誰かに「今日はトイレにいってはいけません」と言われたとしても、それを聞いてどうするのかは“あなた自身”が決めることになるはずです。
トイレを我慢することは不可能なので、そんな意見は当たり前にシカトしますよね?
大切なことは「あなた自身がどうしたいのか?」ということで、あなたの決断のもと何事も判断していく必要があります。
感情でぶつかる意外の方法が取れない
最後は、“自分の考えをまとめられない”ことで起きる「コミュニケーション問題」です。
考えがうまくまとまらないので、気持ちをうまく伝えることができず、感情をぶつける形になってしまいます。
「考えが頭の中でぐるぐる回ってしまう」ということは誰しも起こります。
しかし、それを放置せず考えがうまくまとまらない時には、紙に書き出してみることが一番手っ取り早い方法です。
紙に書くことで自分の気持ちが整理されて、「こんな風に考えていたのか」と自分でも驚くことも出てきたりします。
娘にグチグチいう。
ウザがられる。
将来ひとりぼっちになる…
これは紙に書くという手順を入れることで、書き出す際に自分を客観的に見ることができるためです。
自立できる人になって欲しい。
イライラしながら伝えてる。
理解できない娘に八つ当たり…
伝えてられない俺の問題やんけ!
人間にとって感情は切っても切り離せないものですが、一人では生きていけないのも人間です。誰かと過ごす必要がある以上、「考える練習」をしておいた方がいいのは間違いありません。
以上「3つの理由」から、勉強はしておいた方がいいとしょっぴーは考えます。
学ばなければ、対等な話しすらできない2つの理由
次に、学ばない人は対等な話しの場に立つことすらできないという現実についてお話します。
これは学校の勉強が、、、という話ではなく、“考える”ということを繰り返す「学び」についてのお話です。
提供される勉強だけでは役に立たないという事実
学校の勉強からは、なかなか意味を見出すことができません。
それは何のために勉強するのかということ明確にしていないからです。
実は、現代に生きているほとんどの大人も理解できていません。
なぜなら、戦後の日本は「言われたことをやる」ことが最大の正義だとされてきたからです。
そのため、『勉強とは、いい大学に入るため』『いい大学は、いいサラリーマンになるため』『いいサラリーマンは、会社のために寝ずに働くこと』という、今では耳を疑うような話しが当たり前の常識とされてきた時代がありました。
しかもそれは大昔の話ではなく、今子育てをしている人たちの常識だったりします。
そのため、「考える練習をして、ものごとの本質を見つけられるように勉強するんだよ。」とか、そもそもそんな風に考える大人の方が少数だったりします。
さらに、先生の立場上「ものごとに正解なんてないんだよ!」なんて言う人はいないでしょうし、もっと言えば、それを子どもに伝えたところで「よく意味がわからない」となるだけでしょう。
しかし、何のために勉強しているのかを理解せずに、勉強をしてもなかなか身にならないのも事実なので、サポートする側が“何のために勉強をするのか”ということを、しっかり認識しておく必要があるのではないでしょうか。
役立つのかわからない授業を、率先して学べるほど成熟した子どもなら、そもそも学校に行く必要はありません。
そこをサポートしていくのが大人の役割だと感じます。
世の中は理不尽で平等ではないという事実
世界は残念ながら平等ではありません。
世間は、人はみな平等と言いたがりますが、どんなに綺麗ごとをならべても、平等ということはあり得ないのです。
国は、みんなの安全を保障するために、警察という暴力のもと、日本という国を成り立たせています。警察に駄目だと怒られたら従う以外の方法はありません。
治安を守るために、より強い暴力を行使する権限を持っているということです。
また、会社という組織もそうです。
より大きな会社が、従えている会社に仕事を提供していて、そこで起きた失敗に残念ながら反論は許されません。
対等ではないということです。
これは“誰か偉いのか”という話しではなく、社会構造がそうなっているということです。
そして、学ばない人ほど弱者と呼ばれる側になってしまう現実があります。
つまり、少なくとも自立した生活を送れる程度には、世の中の仕組みを学ぶ必要があり、自分自身の考え方を身に付けていなければ、誰かの言うことを聞くしかない場所で過ごす以外の方法がないということです。
学ぶとは生きるために必要な最低限のスキル
こんな話しをされると、文句を言いたくなるのも当然のことなのですが、まともな話し(論理的)でなければ相手にしてもらえません。
必要なことは、自分の感情的な意見ではなく、聞いてもらえる状態(論理的)にまとめて話しをすること。
それができなければ、話し合いにすら参加させてもらえないということです。
ふざけるなー
人権侵害だー
あなたも社会に不平不満をぶつけるだけの人を見たことがあるのではないでしょうか?
成長の本質とは学ぶことにある
自分の成長を実感することはなかなか難しいものです。
それは、なぜかというと、、、
『自分は自分とずっと一緒に過ごしている』
からです。
周りはどんどん成長していくように感じてしまう理由は、他人とは離れて過ごす時間があるからです。
特に、たまにしか見かけない人は、以前会った“その時”からの差が長いため、できることが一気に増えたような気がします。
つまり、気のせいですね。
何が言いたいかというと、他の人の方が成長する速度が速く感じられるということです。
これは知っておくだけで、少し心にゆとりが生まれます。
周りはどんどん成長していく気がしますが、それは気のせいなので、あなたはあなたの頑張りたいことに集中すればいいのです。
それでも、もしあなたが「周りと自分を比べてしまい」自信を持てなくなってしまうような時には、自分の好きなことや、やりたいことについて研究することをおすすめします。
沼にハマってみるということです。
なぜなら、成長の本質は学びにあるからです。
例えば、ネコが好きなら
- スリスリしてくるのはどんな時か
- かわいい声をだすのはどんな時か
- 抱っこさせていただけるのはいつか?
他の人にはどうでもいいことでも、あなたが“知りたい”と感じることを調べたりして、沼にハマって調べまくってみるということです。
沼ハマで聞く話しが面白いように、あなたが真剣に研究したものは、どんな分野であれあなたを魅力的に見せます。
それは、どんなことであっても“学びから成長を得る”ことができるからであり、“成長速度の錯覚”は他の人も同じように感じているから、あなたを魅力的に見せるということにもつながります。
はじめはネコが可愛いと思ってはじめた研究も、いつしか猫カフェを経営するような知識へと成長していくでしょう。
まとめ
今回のお話しは「勉強を甘く考えていると結構困ることになるよー」という内容でした。
しかし、そんなに堅苦しく考える必要はありません。
なぜなら、本来学ぶこととは知らないことを知ることなので、とても楽しくワクワクするものです。
学校の勉強がつまらないのは、“強要された学び”だからです。
もし今勉強していることが楽しくないと感じているとしたら、それはあなたの興味から遠くかけ離れたものだからであり、学びを楽しいものにする解決策は、あなたの夢に向かう途中のことを学ぶことです。
学ぶことは『生きるために必要な最低限のスキル』なので、それがどんな知識であれ、ある程度のことはあなたにとって役に立つ知識になるはずです。
つまり、学校の勉強も捨てたもんじゃないよってことですね。
まぁ好きなことを学ぶのは、学校である必要はないので、好きなところで前を向いていたらそれが一番ですよね。
まずは、それがあなたの夢にどう繋がるのかを想像してみるところから始めてみたらいかがでしょうか。
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