会社を運営してわかったルールを課す本質と危うさ【ルールの本質と運用方法がわかります】

正しいやり方を知る(地図を持つ)

こんにちは、しょっぴーです。

今日は僕が普段から感じている「ルールとはなんぞや」ということについて書いていきます。

僕自身、小さな組織ではありますが会社を運営する一員として日々活動していますので、ルールの重要性についてはかなり深く認識しています。

会社ではルールを守ってもらうことで、社員全体の取り組みの方向性をそろえて成果につなげています。

みんなが好き勝手にしていても、たいした成果にはならないということです。

まさに無法地帯になってしまいますからね。

そんな、集団をまとめるために必要なルールですが、実際に運用する側として長年過ごしてきて、いくつか気づいたことがあるので、今日は、そんな『ルールの本質』について深掘りしていきます。

今日の記事を読むと、ルールに振り回されることがなくなります。

ルールの本質は“安全を保つ”ために規律を正すこと

いろんな人が暮らしている社会では、いろんな価値観があるので当然いろんな意見がでてきます。

そんな社会において、『みんなの安全を保つ』ためにルールは存在します。

法律がまさに社会のルールですよね。スポーツのルールも基本は同じです。同じ条件のもと『安全に楽しく競い合うため』にルールがあります。

ルールの本質は『みんなの安全を保つため』です。

ルールは問題が起きると増えていく

僕は会社の運営を担う立場にいますので、その組織においてはルールを作る側にいます。

そちら側の視点としてお伝えすると、ルールは取り組みの方向性をそろえるために活用されています。組織運営においてルールを守らせることは結構重要だったりするためです。

僕自身、管理の都合でルールを作ることも、ルールを守ってもらうために周知することもあるんですが、ぶっちゃけた話作った本人ですら「これはさすがにいらんかったな・・・」なんて感じるルールもあったりします。

そういった場合うちの会社では、その都度変更をしながら管理体制を築いているのですが、、、

結論から言うと、意味のないルールは世の中にたくさんあります。

まじでいっぱいあります。

なぜなら、僕が考えた『どうでもルール』が存在するくらいなので・・・。笑

ルールが出来上がる流れはこうです。

  1. 問題が起きる
  2. 解決策を考える
  3. 解決策にそってルールを作る
  4. ルールを守らせる

ここからわかるように、ルールは問題が起きると増えていく傾向にあります。

しかし、一度周知したルールを変更するには“勇気”がいります。

なぜなら、ルールを変更するときには「結局やらんのかい!」という、総ツッコミを受けることになるからです。

さらには、次に指示を出すときには「どうせやらなくなるんでしょ」という大多数の同調圧力を受けることになるため、「なるべくならそのまま押し通したい」という心理が働きます。

ルールは何かの意図があって作られている
、、、が、たまには失敗作もある

ルールを“守らせるためのルール”が誤解を招いている

そのため、『変更』ではなく『追加』という措置が取られることがあります。

ルールを守らせるために、別のルールで補うというわけです。

しかし、これこそ無限に無駄なルールを積み上げていく原因になっていると、僕は考えています。

なぜなら根本的な解決を目指していないからです。

ルールを守らせる際に注意すること

ルールは、“安全を保つ”ために規律を正すことを目的としています。

「村のおきて」と考えたら分かりやすくかもしれません。

「犯罪をしたらだめだよね」「みんなで暮らしているんだから協力しようね」といった、『みんなを守るため』に作られたルールです。

この観点から考えると、このルールが規律として正しいのか判断ができるようになります。

意味がわからないルールを押し付けられそうになったら、素直に「これは何の規律を正すためのルールなの?」と聞いてみたらいいと思います。

そんな部長に怒られるからに決まってるだろ!

しょっぴー
しょっぴー

ん?意味わからん

そもそも「このルールって必要なのか?」と考えみることは、あなたの人生においてとても重要な思考のひとつです。

ルールの本質から外れたルールは必要ない

ルールは変更したり、思い切ってなくしたりして、“正しく運用”する必要があります。

ルールを守らせる人に作用する危うい副作用とは

しょっぴーが勝手に提唱している『管理者症候群』というものがあるのですが、管理者になるといきなりルールを振りかざしたくなるという症状です。

自分が偉くなったと勘違いをして、『自分ができる、できないにかかわらず“ルールを守らせる”こと』に命をかけ始めるという恐ろしい病です。

この病にかかると、「そのルールの正当性にかかわらず、ルールを守らせること」に必死になります。

この病の怖いところは、「ルールを守らせること」が正義だと考え、本人に悪気がないところです。

管理者症候群は、ルールの本質を理解していない人の勘違いによるもの

さらに厄介なことは、このルールが“自分にできないこと”だったとしても関係がないことです。

まさに、自分の管理下における状況に酔いしれている状態といえます。

この症状は、管理者になったばかりの人や、下請けを管理する担当者や、警察など役人にも見受けられます。

最近はマスク警察なんて自警団も現れましたね。

ルールを守らせると、自分にも制約を課すことになる

初めは勘違いから起こる管理者症候群ですが、勘違いだったと気付かずに深く病に陥ってしまうと、どんどんルールを守らせるようとしてしまいます。

しかしこれは、周りの人に制約を課すたび自分自身へも制約を課していることになります。

管理者症候群の怖いところは、まじめにルールを守らせようとする人ほど、その人に大きな負荷がかかるということなのです。

「コミットメントと一貫性」という社会心理学の法則があるのですが、口から出た言葉は無意識のうちに、その発言の一貫性を保とうする心理が働きます。

しかも、口から出た言葉は「言霊」と言われるほど、深く思考に結びつきます。

つまり、自分もしっかり守っているルールであればまだしも、自分自身でさえしっかりできていないルールを守らせようとした場合、呪いの呪縛とも言える制約が自身に降りかかることになります。

『正しくあらねば』と考える人ほど、心の病になったり、謎の犯罪に走るのは、「管理者症候群」から来ているのでは、と僕は考えています。

ルールは厳しくても運用をゆるくする

集団をまとめるのにルールは必要です。

しかし、先ほど述べたようにルールの運用には危険をはらむため、ルールは厳しくしても、運用する際に多少大目に見ることも必要です。

そもそも、がんじからめにされた人間に高いパフォーマンスは期待できません。

そのため、ルールの運用は厳しい基準にしたとしても、ある程度“運用をゆるく”して調整することで、管理がスムーズになります。

目に余る行為にだけ、ルールに則り規制すれば良いのです。

ルールは「自分の価値観をもと」に正しく守る

逆に、ルールの規制を受けるときには、認識だけしておいて受け流すことも必要です。

ものごとの正解は「自分自身の価値観」によって決まります。

そのため、そのルールが正しいのかどうかは“あなた自身”が決めることになります。

ルールに囚われる必要はありません。

あなた自身が認識する「ルールの価値観」とは、小学生までに教わった『正しいこと』と、中学生くらいから経験した『悪いことによる失敗』によって作られています。

あなたは自分自身でじゅうぶん判断する能力を持っています。

その価値観をもとに、そのルールに“準ずる”のか、“受け流す”のかは、あなた自身が決めていけばいいのです。

そうでなければ、“正解ですらない”その「どうでもいいルール」に、悩まされることになってしまいます。

もしあなたが「横断歩道を分からなければならない」という絶対的なルールに縛られているとしたら、田舎では道を渡れなくなってしまうでしょう?

そのルールを受けるかどうかは、あなた自身が決めたらいいのです。

ルールはあなたにも変えられる

それでも意にそぐわないルールの場合は変更することができます。

その際に必要なことは手順を踏むこと。

ただ感情に任せて訴えたところで、誰からも相手にされることはありません。

面倒くさいことですが、理路整然と相手に説明してルールを変更する必要があることを理解させ、なんなら変更の手続きをすべて受け持つくらいの気構えで臨みましょう。

自分の価値観で判断すればルールに縛られない

まとめますね。

いろいろ書きましたが、ルールに完璧なものはありません。

ルールの本質はみんなの生活や、組織の『安全を守る』ためにあるということ。

その認識を守る側も守らせる側も、本質を理解して運用することで、安心して暮らしや、安心して働ける組織になります。

ルールはあなたの価値観のもとある程度守りつつ、本質から外れた指摘を受けた場合は逆にその部分を指摘すればいいでしょう。

お互い様ということです。

ルールは、全体の安心のためにあるもので、囚われる必要はありません。

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